ホーム > ローレンス ジェンキン スペクタクル メーカー/Lawrence Jenkin Spectacle Maker > 【ローレンス ジェンキン スペクタクル メーカー】誕生まで〜前編〜

【ローレンス ジェンキン スペクタクル メーカー】誕生まで〜前編〜

lawrencde-jenkin-11

穏やかな笑みを浮かべる彼こそ、イギリスの眼鏡史において重要な役割を果たしてきたlawrence jenkin(ローレンス ジェンキン)本人である。これはブリンクバイヤーの荒岡が十数年ぶりに、彼と再会した時に撮った写真。見た通り71歳という高齢であるが、なんと今年、念願の自身のアイウェアブランドをスタートさせたのだ。そんな彼のここに至るまでのヒストリーを追っていきたい。

aao-2

まず彼の原点には、1882年創業のAnglo American Optical(アングロ アメリカン オプティカル)というブランドがある。1943年にその権利をローレンスの父、Arthur Jenkinが購入し、当時は子供だったローレンスだが、27歳の時にAnglo American Opticalのアセテート眼鏡作りに携わるようになった。以前にアメリカでオプティシャンとして数年働いた後、自分のコレクションを作るためにイギリスに戻っていた。

70年代までは、イギリスで取扱いがあったのはなんと1店舗のみで、その唯一のショップはあのカトラー&グロスのショップだった。しかし70年代半ばになると、イギリスの取扱い店数も増え、アメリカ、ドイツ、ベルギー、オランダの眼鏡店でも販売されるようになり一躍有名となる。そして、オリバーゴールドスミス、カトラーアンドグロスと並ぶイギリスの3大ブランドと呼ばれるようになった。

aao

ベーシックなデザインの他に、彼はこんな遊びのきいた作品も数多く残している。五輪のマークやレンズが2羽の白鳥の形をしたもの、その発想はどれも驚かされるものばかり。道具として使われてきた眼鏡のイメージを変え、世界的に大きな影響を与えたに違いないだろう。アングロアメリカンのもうひとつの顔と言える。

80年代に入るとローレンスはカトラーアンドグロスの創設者であり、親友のTony Grossと一緒ににロンドンに小さな眼鏡店をオープン。そして1985年『Anglo American Optical』を『Anglo American Eyewear(アングロ アメリカン アイウェア)』と社名も変更。

当時は“アイウェア”という響きがファッショナブルだったというのも理由。こうして一時代を築き上げたローレンスだが、1996年当時53歳でデザイナーを引退してしまった。

まだまだ彼自身のブランド『lawrence jenkin spectacle maker』の誕生にたどり着くまでは、語りきれないエピソードがたくさんあります。続きは後日の後編にて紹介して行きたいと思います。

lawrence-jenkin-panto

LAWRENCE JENKIN SPECTACLE MAKER|ローレンス ジェンキン スペクタクル メーカーのonline store ページはこちらから

関連する投稿



ホーム > ローレンス ジェンキン スペクタクル メーカー/Lawrence Jenkin Spectacle Maker > 【ローレンス ジェンキン スペクタクル メーカー】誕生まで〜前編〜

Bucknumber

ページのトップに戻る